2010年3月18日木曜日

上京したので展覧会をみてきましたが

始弘画廊個展会場


始弘個展が終了して長野に帰った後、連日まじめに仕事をしていましたが
先週末にちょっと用事がありまた上京しました

ついでに、始弘に寄りオーナーの平山さんにご挨拶しながら
開催中の個展司修さんの作品をじっくり拝見
どれも素晴らしい作品でとても刺激を受けました

本の形状をしたオブジェ風の作品から、まさに本そのものの作品など
通常の絵画のようばな額装した見せ方をしてないだけに、
深く輝く小さな作品群がみっちり詰まっていて、いくら観ていても飽き
ませんでした

私の作品世界にはない文学性といったものが作品に奥行きを生んでいて
魅力的
まさに大人の世界を見せていただいたという感じでした

その後、近代美術館で小野竹喬展を観た
これまた期待以上の素晴らしさで感動

先日観た長谷川等伯展はあまりに人が多くて作品との対峙対話ができな
かったが、竹喬展では適度な人の入りでしっかりそれぞれの絵画に没頭できて大満足

何年も前に友人の画家小松育美さんから、竹喬展がものすごく良かった
というメールをもらっていて、それがとても印象的だったのでいつか観たいと
思っていた。

もし彼女のメールがなければ多分ポスターの絵だけからの印象で、ス
ルーしていたとおもう。ありがとう小松さん!

竹喬は最晩年の88才の作品であっても全くテンションがおちないどこ
ろか、最高傑作とも言えるような作品を残している事に心の底から感動した

かなり前にブリジストン美術館で観た坂本繁二郎展での最晩年の作品は
華麗とさへ言える素晴らしい境地に行き着いてた事を思い出した。

天才肌で若いうちに素晴らしい作品をのこすタイプの作家は
華やかで皆の憧れの的になり、若い頃はそういう作家になりたい思うも
のだが、蟻の歩みの55才の私には、こういった最晩年に素晴らしい作品を描く 画家に
憧れを感じる。まさに目標だ!!!

絵を観たり作家にたいする感性や評価も年齢とともに変化するものだ

でもこの変化が退化であったり頑迷な保守化ではないのか、自ら冷静に見定めなければならない。

今時の若いものは、、、なんていいながら自分の退化を正当化しているばあさんになったらおしまいだ

竹喬展では作品のキャプションに大変珍しくも、それぞれ59才頃の作
品というような何才の作品という記述がありとて良かった。
88ひく55は33年。まだ33年のこされていて
しかも可能性に満ちた33年だと知らされてもっともっと精進しようと
心に誓う私だった

別な日にはVOCA展にも足を運んだ。今なぜ具象なの?というテー
マのシンポジウムに興味があったので展覧会を観るだけでなくシンポジウムも聴いてみたの
だった

VOGA展第一回目の出品者故に毎年招待状をいただくので
今の若い人たちの意識や状況を知りたい私は、毎年この展覧会を観る事 にしている

そして私が絵画でやろうとしている事から年々状況は離れていってるな〜これ
が歳とるって事なんだな〜とまたしても実感した。

作品を観ても、シンポジウムの話を聴いても、私の年齢の作家であれば、若い作家が意識上でも無意識下でも今という時代と共振している様な事はできないんだ、という事実を確認(もしやったら惨めなやらせになるだろ〜やるきもないし)時代とある程度の距離をおいて自分の感覚を育んだ時代を背負って描いて行く。つまり現在そのもののウエーブとずれてしまうことのリアリティーこそが、50代を過ぎた作家の制作のアイデンティティーという事になるのだろう。現代アートシーンではこのスタンス、とてもわかりにくくて微妙。だから結局自分の道は自分で作っていくしかない。でも若い時も状況とシンクロした事ない私は結局今までと同じってことね、、


私は宇宙的生命と共振するような絵を描いていきたいし、絵画はそれを実現できるメディアだ

竹喬も司修氏もそれをやっている。私も私なりのやり方でそれを目指します。

と大言壮語したけど、、、、

現実の目の前の白い画面にもどります、いつも白紙からの出発で、大願をあきらめずにチャレンジし続けるしかないのだから