2011年3月11日金曜日

デッサン

個展会期中、自分の作品を見ていて痛感していることがある。
それはデッサンの重要性だ。
今更そんな事…という絵画の基本中の基本の話なんだけど…

50才ぐらいからご多分に漏れず老眼が進んで、
花を写実的意識で鉛筆デッサンするのがどんどん億劫になり、
老眼の加速と億劫な気持ちの増加は比例している。

結果として鉛筆デッサンの枚数がどんどん減っているのだ。
その代わりラフなデッサンやドローイング、パステル画が増えていて、
今回の個展にはパステル画を六点展示している。

パステル作品では純粋に色彩が醸し出す祝福感を追求しているのだが、
ここでベースになっているのも、私なりのデッサンだ。
デッサンが可能にするフォルム感、奥行き感、リズム感とでも言ったものが、
複雑さを含みつつのシンプルな統一性をもった画面を作り上げるためにはデッサン力が必要…

というより、世界を感じる私の目が画面になる翻訳回路が私のデッサンということになる。

今回見たものを大掴みにするラフなデッサンをそのまま50号の作品にしてみたが、
会場で見ていてこれは一枚の絵を作っただけに過ぎないとの思いになった。
もっと深い直感を定着させるためにはディテール
の全てをすくいあげるつもりのデッサンを通過しないとだめなのだとわかった。

老眼に負けている場合ではない。

自分の制作の中で唯一辛抱が必要な領域だが、
やはりはずせない重要なポイントなのだ。
もういちど根性いれて描くしかないなと思っている。

それも一つの課題、それ以外に、あれもこれもやるべきことだらけだ。

体調を管理して全身全霊を傾けていかなければ1センチたりとも前進できないだろう。
今自分はそういうところにいると思う。